第一幕  ガラクタがやってきた 1999年8月17日

子供:「ママ〜、あれなに?」 
母親:「だめっ!見ちゃイケマセン!!」 
 
  この車輛、実際に私の物となったのは1999年1月8日、書類の受け渡しがあった日です。ちょうどそのころ、夕刊配達を始めた時で、一種の報酬のような形で店長がくれたのでした。 

  しかし・・・これが実働車なら何ら問題は無かったんですよ。問題があるからこそ簡単にくれちゃうわけで。つまり不動車なんですねぇ。 
  元々、私のページに良く登場する専業Hの親父が乗っていたものなのですが、或る日配達に出でようとキックをくれた、しかしうんともすんとも言わないし、何しろキック自体が重い。それ以後息を吹き返して新聞配達に使われることが無かったという結末の車輛なのであります。 

  不動車になった理由ってのが如何にも新聞配達人らしいのですよ。この車輛、所有者こそ販売店になっているのですが、使用者たる専業H・父の完全マイ・カーだったので、メンテナンス一切その親父の匙加減如何だったのです。不調を訴えたら自転車屋に修理を依頼するとか。 
  一応、店の指導としてオイル交換は3000kmに1度はするようにとあったのですが、そんなことはお構いなし又はすっかり忘れていたかどうかは知らないけど、オイル交換なんかしちゃいなかった、ここ数年。そういう意識だからオイルレベルを見るなんて事も当然するわけが無い。 

  ・・・カブのオイル、これが意外と燃えちまう・・・2st程とは言わないけれど、そこらへんの4stの比ではない・・・ 

  ふと気がついた時、つまりエンジンがもうすでに掛からなくなっていた時には、オイルがすっからかんになっていた、ということ。 
  一応これまでエンジンは動いていたが、そこはカブの脅威的な心臓があってこそ、しかしその心臓も送る血液が無くなってしまえばおしまいなのであります。シャーシャーと異音がしていたのは気がついていたのだそうだけど、オイルのことまでは頭が回らなかったそうだ。 

結果、最悪の焼付き。

  自転車屋はそれでもオイルだけは入れて動くかどうか試したが、逝くところまで逝ったカブにはそれでも重荷だった、と。匙が投げられてしまったのでした。 
  それからしばらく・・・店にはハイエナが多数いた、もとい、1人いた。・・・かくいう私でございます。 
  私のカブ、ともかく各所が崩壊して行ったので、その度直さなければならない。そこに都合の良い部品どり車が出来てしまったわけで、どんどん部品が剥ぎ取られて行きました。 

  しかしながら・・・これまで実際にカブを所有した事のない私、如何にエンジンが死んでいようが、部品が剥ぎ取られていようが、そんな車輛でも所有欲が沸いてきたのであります。 
  エンジンなんざぁ何処ぞで手に入れてくれば良い、流通量の多い車輛だすぐに手に入るだろう。細かい部品だってそんなに高いものじゃない。更に当時、SuperCub70を貰える段取りまでつけていたので、ここぞとばかりに私が頂戴することになったのでした。 

  初めてPressCub50を所有することになりました。・・・なったんだけどねぇ、自宅に持ち帰るとさすがに母親が騒ぐ、狭い庭にCRM80とCRM250、夕刊配達を始めたことで自家用になったPressCub50が既にある状態で実際にも持ち帰るわけには行かなかったのであります。しばらく店の駐輪場に放置されている状況が続きました。 

  そして私は新聞配達を辞めてしまいました。そして実家をも飛び出してしまいました。もう、このカブは持ち主の目の届かないところにある状況に陥ってしまったのです。哀れではあるが・・・でも、私が実家を飛び出したことでCRM250は消えた、PressCub50は返納、CRM80は親の実家がある福島においてきた、ということで隙間が出来たので、やっと家に持ち帰る時がきたのです。 

  この車輛、年式不明のPressCub50 のST、形式で言うと C50BNN-Tと言うものです。

 
 
 

   PressCub50の宿命と言いましょうか何と言いましょうか、ライトケースが出っ張っているが為に配達中にあらゆるところにぶつけ、つっこみ、そんでもってネジが飛んだりいつのまに化レンズを押さえているスプリングが飛んじまったり。 
  んでもって、スプリングを無くしちまっちまうと、それを買ってきてつけるって思考は浮かばない物で・・・ライトが消えていようが消えていまいが、エンジンが始動するかしないかが勝負ですからねぇ・・・スプリングが飛んでレンズが外れてしまおうがお構いなしなのであります。 
  でも、レンズがぶれれば早朝暗いときに配達する新聞配達じゃやっぱり気になるところでありまして、スプリングの替えが無いとなるとガムテープで何とかやっつけちゃおうと思うのもまた当然なのでありますわ。 
  と言うわけで、長年ガムテープ修理のままだったのでぱりぱりになっちまってます。ガムテープの残骸をかたつけたところで汚らしいので、これは交換しちまいましょう。
   或る専業が事もあろうに、他のカブのリアとフロントの両方にDUNLOPのSNOWタイヤを履かせちまったのでした。その専業曰く「乗り易いじゃん」・・・端目には、どうしてもそう見えないのですが。 
  しかしその専業がドロップアウトしてしまって、そのカブが浮いたので他の人間が乗る事になったのですが、端目に見たどころではなく本当に乗りにくいものだったのでした。 
  まー、普通ならタイヤ交換をすれば良いだけなんだけど、目の前にフツーのタイヤがついたホイールがあるものだから・・・丸ごと交換されてしまったのでした。んなもんでこの車輛、フロントにまでSNOWタイヤを履いてしまっているのであります。 
  で、今後色々課題になってくるところなんですけど、この車輛C50BNN型なのですが、その交換したフロントホイールはC50BNP型なんですよ。その課題ってのが、制御系(ぶっちゃけて言えばブレーキ全部)や電装系の一部が、C50BN(D)Nまでと、C50BN(D)Pから細かく変わっているので、場所によってはそのままつけることが出来ない個所も存在していて、この場合はメーターケーブルに不都合が出ているのであります(メーターケーブルを接続できない)。
  このカウルも剥ぎ取られて他の車輛に移植されて、変わりに持ってこられてこうなっちまったんですよね・・・嗚呼哀れなり。
   転倒を繰り返すことで、リアキャリアの両端がじわじわと下に向いて曲がって良く事はあります。また、重みに耐えられなくなって取りつけネジ穴が広がって下に下がって行ってしまうのもまた日常のことです。 
  だけど!このキャリア、よーく見ると溶接した跡があるんですよ。・・・折れたってのは見たこと無いです。それをまた溶接して使うってのも・・・どうでしょう?またそこから折れて、それが新聞満載の時だったら(往々にしてあるのはその状況)・・・考えるだけで不幸です。 
  新聞を積む予定は無いですけど、これも要交換。 
 
   レンズもまた私の当時の愛車の為に奉納されたのでした。 
  で、C50BNNまでは、電球がねじ込み式だったのですが、次のC50BNPから挿し込み式となったのであります。でもレンズ自体はぜーんぜん変わっていなかったのでそのまま移植してしまったのであります。 
  そもそもここのレンズが割れるって事自体がかなり変なことだとは思うのですがね。 
 
  マフラーが潰れております。が、この写真の場合そこが問題じゃないのであります。 
  実はね・・・やっぱり当時の私の愛車のことなんですが、或る事がきっかけでリアブレーキ周辺がまとめて逝かれてしまわれました。で、自転車屋に修理に出したのは良いのだけど、部品が届くのに時間が掛かりそうだ、と。ぢゃぁ、という事でこの部品取車のブレーキアーム、スプリング、カム諸々を持って行ってしまったのでありました。 
  だからブレーキロッドがぷらぷらしてしまうので、スイングアームにロッドを紐で縛ってあるのです・・・

この車輛がどうなって行くかは、まだまだ見えないのであります。
だって、あってないような指針ですから :-)

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